記憶に残る男 長嶋茂雄 活躍の名場面



昭和34年6月25日、巨人対阪神の11回戦。

数々の伝説を残す長嶋茂雄の最高のプレーがかの有名な天覧試合でのサヨナラホームランであろう。


この日、プロ野球誕生以来初の天覧試合が行われた。

巨人・藤田、阪神・小山の両エースの先発で試合が始まったこの試合、まず三回に小山自らのタイムリーで阪神が先制する。

すかさず五回裏巨人の反撃。その口火を切ったのは、この試合まで相手投手の敬遠攻めで調子を落としていた四番・長嶋だった。

小山から12号本塁打をレフトスタンドヘ。さらに五番・坂崎もライトへ一発。

2対1と瞬く間に試合をひっくり返した。 しかし阪神もすぐに反撃。

三宅ののタイムリー、藤本の一発で2対4と再逆転する。

次は巨人の反撃。七回裏、六番・王のアベックホームランとなる豪快な

アーチをライトスタンドへ叩き込む。これで4対4の同点。

すかさず阪神はリリーフに村山を送り込み後続を断つ。

村山の熱投と、復調した藤田の投げ合いで伝統の一戦らしい

息詰まる展開のまま最終回を迎えた。


そして九回裏、先頭打者は長嶋。

後に宿命のライバルとなる村山との対戦成績は、これまで13打数2安打。

2安打はいずれもホームランと、斬るか斬られるかの真剣勝負を繰り広げていた。

そして・・・



渾身のストレートを投じた村山。渾身のスイングで打ち返した長嶋。打球はレフトスタンド上段に突き刺さった。 5対4。長嶋自身初の劇的サヨナラホームランで、名実ともに日本プロ野球界の中心選手となった。



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長嶋茂雄

高校野球界では無名の高校出身であったが、練習試合で訪れた埼玉県熊谷市内の球場で、その素質をプロスカウトに見いだされてはいた。 1954年から1957年まで東京六大学野球で立教大学の選手として活躍。

1958年〜1974年までプロ野球チームの読売ジャイアンツ(以下、巨人と記す)で三塁手としてプレイした。現役時代は読売の中心選手として活躍した。背番号3は巨人の永久欠番のひとつである。

現役引退後、1975年から1980年まで(背番号90)と、1993年から2001年まで(1993年〜1999年は背番号33、2000年・2001年は背番号3)に巨人軍の監督を務めた。2001年より、株式会社よみうり専務取締役・読売ジャイアンツ終身名誉監督に就任した。

2002年に2004年アテネオリンピック野球日本代表チーム監督に就任したが、2004年に脳梗塞で倒れて指揮することを断念した為、その後は中畑清ヘッドコーチ(肩書きはそのまま変わらず)に指揮を託した。

愛称は「チョーさん」「ミスタージャイアンツ」「シゲ」。東京のマスコミは、「ミスタープロ野球」もしくは単に「ミスター」と呼ぶこともある。

1959年、石原裕次郎(故人)が歌った長嶋の応援歌「男の友情背番号・3」が発売された。2000年には「ミレニアム・バージョン」として再発されている。

※1993年の2度目の監督就任以前、「長島」あるいは「長嶋」と姓の表記が揺れていた。この項での表記は長嶋に統一する。

愛車はメルセデス・ベンツSクラス、送迎車はクラウン。

出典:ウィキペディア

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